【急逝】小原日登美の死因は何?夫は小原康司で子供はいる?

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2025年7月18日、44歳の若さで亡くなられた小原日登美さん。

突然の訃報に、衝撃が走りました。

今回は、小原日登美さんについて、まとめています。

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小原日登美の死因は何?

小原日登美さんの死因については、公表されていません。

関係者からは、このようなコメントをされています。

ご遺族の心情等への配慮や亡くなられた隊員およびご遺族のプライバシーを保護する必要があるため、回答は差し控えさせていただきます。

小原日登美さんは、女子日本代表のコーチに就任して半年経ったタイミングでの突然の訃報。

かつてうつ病を患っていた小原日登美さん。

そのためネットでは、さまざまな憶測が広がっています。

死因について、3つの可能性が考えられます。

1-1:うつ病による自死の可能性

小原日登美さんは、2003年に怪我や日本代表選考から外れるなどで大きなストレスを受け、うつ病を発症しました。

それと同時に挫折感に苛まれ、当時はこのように感じていたそうです。

「強くない自分には価値がない」

それ以降自宅に引きこもり、風呂場でカミソリを持ち込むこともあり、精神的に追い詰められていました。

過食症も併発、体重も一時期74㎏まで増加。

小原日登美さんの競技階級48㎏級や51㎏級から大きくかけ離れた体重とねり、復帰も難しい状況でした。

小原日登美さんは、家族の献身的な支えにより、うつ病を乗り越えた過去があります。

しかし、再発する恐れもあるため、そのことから憶測などが広がって注目されたのではないでしょうか。

うつ病による自死も可能性としては考えられます。

ただ、公表されていないので、真相はわかっていません。

1-2:病気の可能性

小原日登美さんは、幼い時からレスリングをしていました。

現役時代は減量や厳しいトレーニングを行い、試合などに出場していました。

日々のトレーニングを行う中で、疲労やストレスも蓄積し、身体の負担も多い競技でずっと戦ってきました。

小原日登美さんは、2016年3月17日配信の読売新聞の医療情報サイト「ヨミドクター」のインタビューの記事で、持病について語っています。

減量による無月経に悩まされ、医師から排卵を妨げる「多嚢胞性卵巣症候群」を抱え、排卵誘発剤を使う必要があることを告げられていたことを明かしています。

この疾患を患っていると、死亡リスクが47%も高くなると言われています。

今回の死因が「多嚢胞性卵巣症候群」による直接的な原因であることは示されているわけではありません。

小原日登美さんが「多嚢胞性卵巣症候群」の死亡リスクについて説明を受けていたかはわかりません。

もし説明を受けていたとしたら、不安な日々を過ごされていたのかもしれません。

1-3:突発的な病の発症

アスリートの多くは、精神的にも身体的にも大きな負担がかかります。

過去に、試合や練習後に心筋梗塞や脳出血を引き起こし、倒れたという事例もありました。

小原日登美さんの場合、現役引退後も自衛官としての業務や代表選手の育成にも携わっています。

多くの役割を担っていた小原日登美さん。

知らぬうちに、体を酷使していた影響で、突発的な病を発症したのかもしれません。

公表されていないため、あくまでも可能性として推測します。

小原日登美の夫は小原康司

小原日登美さんは2010年10月に1年後輩で、元レスリング選手、現在は海上自衛官として務めている小原康司さんと結婚しています。

2人の出会いと関係性について、このように語っています。

初めての出会いはちびっ子レスリング、その後は高校の先輩・後輩。

結婚当初から夫婦仲の良さは有名だったみたいで、2012年の時、「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれています。

授賞式で小原康司さんを抱き上げるパフォーマンスをし、話題になっていました。

小原日登美さんの練習に、小原康司さんがビデオ撮影など行い、全面的にサポートをしていました。

夫の支えもあり、オリンピックで金メダルを獲得しています。

絆が深く、お互いを信頼していたから得られた結果なのでしょう。

小原日登美に子供はいる?

小原日登美さんは、2人子供がいる母親です。

2014年に第一子、2016年に第二子を出産しています。

名前と年齢は以下の通りです。

  • 悠陽(ゆうひ)くん:10~11歳(2025年現在)
  • 風利(ふうり)ちゃん:8~9歳(2025年現在)

素敵な家族写真ですね。

小原日登美のプロフィール

旧姓坂本日登美(さかもと ひとみ)
生年月日1981年1月4日
死去2025年7月18日 (44歳没)
出身地青森県八戸市
最終学歴中京女子大学(現・至学館大学)
身長155㎝
競技レスリング
職業陸上自衛官(2021年4月現在の階級、3等陸佐)
自衛官体育学校・コーチ

小原日登美さんは、幼い時に地元の青森県八戸キッズでレスリングを始めています。

1998年の全国高校生選手権50㎏で優勝しています。

その後も、試合で優勝を重ねてきましたが、2001年の世界選手権連覇後に膝を負傷し手術で戦列を離れていました。

2004年に復帰、カナダカップとワールドカップで優勝しています。

2005年のワールドカップの出場は逃していますが、アジア選手権で優勝、世界選手権では4年ぶりに優勝。

試合に出場する度、優勝していた小原日登美さん。

北京オリンピックで小原日登美さんが所属する51㎏級は実施されないため、55㎏級でオリンピック出場を目指し挑みましたが、2007年1月の全日本で吉田沙保里選手と対戦し完敗。

同年4月のジャパンクイーンズカップで松川知華子選手に敗れ、北京オリンピック出場を逃しています。

2008年に1度、現役を引退します。

2009年12月26日に妹が結婚し、妹もレスリング選手として活躍していましたが、引退することになりました。

妹の引退を機に、小原日登美さんは現役復帰します。

その後、2010年9月のレスリング世界選手権モスクワ大会で、7度目の優勝を果たします。

紆余曲折しながらの、選手人生を送られてきました。

まとめ

小原日登美さんについて、まとめました。

44歳という若さで亡くなられたのは、とても残念です。

苦しみながらも選手人生を生き、結婚して家族にも恵まれ、そんな小原日登美さんの生き様は忘れることが出来ません。

ご冥福をお祈りいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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