パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」の南部虎弾(なんぶとらた)さんが、1月20日に脳卒中のためご逝去されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
南部虎弾さんといえば、若い頃はダチョウ俱楽部の初代リーダーを務めていたそうですが、脱退されています。
脱退後に、パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」を結成し、活動されていました。
南部虎弾さんの若い頃や家族について、知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで気になるのは、「南部虎弾のダチョウ俱楽部脱退理由は?」「南部虎弾の妻や子供はいる?」についてではないでしょうか。
そこで今回は
- 「南部虎弾の若い頃は?」
- 「南部虎弾のダチョウ脱退理由は?」
- 「南部虎弾の妻や子供はいる?」
- 「南部虎弾のプロフィール」
についてまとめていきます。
南部虎弾の若い頃は?
南部虎弾の若い頃は?について、サラリーマンを経て芸能界で活動されています。
大学を中退し、第一生命の営業マンとして働いていました。
22歳の時に仕事を辞めて、フランスへ行かれています。
フランスでは、ボランティア活動をしていたそうです。
半年で帰国、帰国後はロシア音楽舞踊団に入ったそうですが、看板女優2人関係を持ったのがバレてクビになりました。
黒澤明監督の映画「影武者」(1980年)のオーディションで、南部虎弾さんは「黒沢監督のためなら命もいりません」と宣言したそうです。
その宣言を気に入られ、出演を果たしました。
その後、「テアトル・エコー」に入所し、ピン芸人として活動していました。
そして、上島竜平さんと寺門ジモンさん、肥後克広さんと出会い、グループを結成することになります。
南部虎弾のダチョウ脱退理由は?
南部虎弾のダチョウ脱退理由は?について、脱退理由は、メンバー内の不仲。
不仲になった理由は、南部虎弾さんの芸風に3人がついていけなかったからでした。
事前に根回しもせずに大物芸人に失礼な毒舌を吐いたり、方向性の違いによりクビという形で脱退に至りました。
1987年に南部虎弾さんが、グループを脱退します。
脱退後に、パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」を結成、リーダーとしてメンバーを引っ張っていきます。
体を張った芸が海外で好評となり、「TOKYO SHOCK BOYS」というグループ名で活動していました。
過激なパフォーマンスで何度も死を覚悟したそうですが、芸のためならば命も惜しくないという。
プロ根性の強い南部虎弾さん、もうその芸が見れなくなるなんて、さみしくなります。
きっと天国で、パフォーマンスを披露しているに違いないですね。
南部虎弾の妻や子供はいる?
南部虎弾の妻や子供はいる?について、南部虎弾さんが37歳で妻の由紀さんが18歳の時に結婚していますが、子供はいません。
妻の由紀さんは一般の方で、2人が出会ったとき、由紀さんは女子高生でした。
地方のライブ巡業中、静岡の公演に由紀さんが友人と見に行ったことがきっかけでした。
南部虎弾さんが由紀さんに恋をしたそうです。
おそらく南部虎弾さんが猛アタックして、交際に発展したのではないでしょうか。
17歳年の差を乗り越えて、2人は結婚します。
結婚した当時は、電撃ネットワークとして活動を始めたばかりで、仕事もなく経時的に苦しかったそうです。
南部虎弾さんは東京で、由紀さんは地元の静岡県下田市に住み、別居生活を送っていました。
しばらくして都内で一緒に暮らすようになったようですが、まだまだ軌道に乗る前で、風呂なし鍵なし6畳一間のアパートに住みます。
極貧だった時代も、由紀さんは文句言わずに外で働きに出て、家計を支えてくれました。
夫婦仲は良好だったそうですが、2人に子供はいません。
軌道に乗ってからは、海外の各国を飛び回る生活になり、一緒にいる時間を中々作れなかったのが理由という考えに至りました。
子供はいませんでしたが、2人仲良く歩まれて、幸せだったことでしょう。
南部虎弾のプロフィール
南部虎弾のプロフィールは、以下の通りです。
- 本名:佐藤道彦(さとうみちひこ)
- 生年月日:1951年7月14日
- 年齢:72歳
- 出身地:山形県鶴岡市
- 血液型:O型
- 身長:168cm
- 最終学歴:高崎経済大学中退
南部虎弾さんは山形県鶴岡市出身で、6人兄弟の第2子として誕生しています。
実家は自転車屋さん営んでいたようです。
南部虎弾さんは子供の頃、内向的で集中力が続かず、落ち着きのない子だったそうです。
中学から特殊学級に進学し、学生時代を過ごしました。
一般学級の子供たちから、石などを投げられることもあり、いじめを受けていました。
高校は地元の山形県立鶴岡高校に進学するも、なじめないまま3年間を過ごされました。
環境を変えたいと、地元を離れ高崎経済大学に進学しますが、中退しています。
テレビで見る南部虎弾さんとはかけ離れた印象ですが、子供の頃の経験があり今の南部虎弾さんを作り上げたのでしょう。
つらい経験を乗り越えて、人を楽しませることに生きがいを感じ、全身全霊でパフォーマンスをしていた南部虎弾さん。
その生き様は、とてもまねできません。
生前にアカペラを披露されて、死ぬ間際までプロ根性を見せてくださいました。
南部さん、身体相当悪かったんですねᵕ̩_ᵕ
— G0LD ⚡️L1GHTNING⚡️ (@GoldsaintAeolia) January 21, 2024
生前に自身が棺桶に持って行くならこの歌とアカペラで披露してる歌…めっちゃしみます
是非聴いて欲しいです
ご冥福をお祈りします。
#電撃ネットワーク #南部虎弾 #ダチョウ倶楽部 pic.twitter.com/nVY53dX96N
1月20日は上島竜兵さんの誕生日、その日を選んだのも何か偶然とは思えないですね。
南部さんがいた頃の四人のダチョウ倶楽部のスクランブル交差点ネタはホント大好きだった。マネして飲み会でもやったw🤣
— 青猫🇯🇵🤝💙💛 (@aoneko77777) January 21, 2024
エスパーさんが亡くなって直ぐに・・・竜ちゃんの誕生日に亡くなるなんて・・
ご冥福をお祈り致します😭#南部虎弾 #上島竜兵 #エスパー伊藤 #ダチョウ倶楽部 #電撃ネットワーク https://t.co/9VvBydV2T1 pic.twitter.com/w73T7awTDo
きっと天国で再会して、楽しくお互いの芸を見せあっていそうですね。
まとめ
南部虎弾さんについてまとめました。
元ダチョウ俱楽部のリーダーで、脱退後は電撃ネットワークのリーダーとして活躍されました。
若い頃のつらい経験を乗り越え、世界で活躍するパフォーマーとして輝きました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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