アン王女のスキャンダルまとめ!離婚理由や元夫と再婚相手についても

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エリザベス2世の長女で、現在イギリス国王チャールズの妹であるアン王女。

彼女も兄同様スキャンダルで離婚しており、若いころは数多くの男性とロマンスを繰り広げていた恋多き女性だったそうです。

そこで気になるのは「アン王女のスキャンダルについて」「最初の夫との離婚理由は何か」「再婚相手はどんな人なの?」ということではないでしょうか。

そこでこの記事では、以下についてまとめました。

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アン王女スキャンダルまとめ

直属のボディーガードとの不倫

アン王女は直属のボディーガードと不倫し、大スキャンダルとなっています。

アン王女は最初の結婚で直属のボディーガードと不倫していたことが公になりましたが、そこでは離婚には至りませんでした。

しかし、数年後二人は破局します。

直属のボディーガードはどんな人物だったのでしょうか。

ピーター・クロスは1970年代、巡査部長としてロンドン警視庁に勤務していましたが、1979年に王室の護衛の任務を命じられ、アン王女の護衛担当となりました。

ですが、王女との不倫関係が噂されるようになり1年足らずで任務から外されることになったそうです。

当時はお互いに結婚していたようです。

この件について知ったロンドン警視庁のピーター・クロスの上司たちは当然ながら慌てふためき、すぐに巡査部長を異動させたそうです。

ピーター・クロスが異動した後も二人の関係は継続していたようですが、週刊誌に報じられピーター・クロスは姿を隠したようです。

その後ピーター・クロス自身が、アン王女との関係をマスコミに売ったそうです。

ところがわずか6ヵ月後に別の男性と結婚しており、その変わり身の速さがまた国民から大きな批判を浴びることとなります。

「あなたが書いた記事が出た時には、私はまだ結婚していましたから、それが事実でも、王女との関係を認めることはできませんでした。でも、離婚した今ならお話できます」

引用元:『ニュース・オブ・ザ・ワールド』

彼の行動により、二人の関係が公になったことで2人の関係は幕を閉じました。

ローレンスとの不倫

アン王女は、ティモシー・ローレンス中佐との不倫の末に再婚されます。

2人目の不倫相手、ティモシー・ローレンス中佐とはどんな人物だったのでしょうか。

1955年3月1日生まれのティモシー・ローレンスは、海軍士官のガイ・スチュワート・ローレンス司令官とバーバラ・アリソン・ローレンスの2人の息子の末っ子としてロンドンで誕生しています。

海軍の奨学金を得てダラム大学に入学し、地理学の理学士号を取得した後、1973年に海軍の士官候補生となり、1977年に中尉に昇格。1997年に退役した英国王室御用達のヨット「ブリタニア号」の航海士を短期間務めたそうです。

その後も数多くの船に乗って指揮を執り、1995年には船長に昇進。また、90年代を通じて、英国国防省で国防担当国務長官の軍事補佐官、戦略防衛審査会でも勤務していたようです。

そして2004年には少将に、2007年に中将に昇進し、2011年8月、英国海軍を正式に退役しました。

1986年に女王の側近に任命され数々の役職を経験したティモシー・ローレンス、この頃にアン王女と親密になったそうです。

当時、マーク・フィリップス大佐と結婚していたアン王でしたが、1989年不倫関係にあった二人が交わした一連の手紙が盗まれ、<サン>紙がそれを入手し公となりました。

バッキンガム宮殿は、「手紙は盗まれたもので、彼が書いたものである」ことは認めましたが、内容についてはコメントしなかったそうです

アン王女とマークの結婚に問題があるとの噂が流れ、アン王女はマークとの離婚が成立しました。

離婚後の1992年12月、バルモラル城近くの教会でティモシー・ローレンスと小さな結婚式を挙げたそうです。

ティモシー・ローレンスにとっては初めての結婚で、結婚式にはエリザベス女王、フィリップ殿下、クイーンマザー、マーガレット王女、エドワード王子が出席し、アンが元夫との間にもうけた2人の子ども、ピーターとザラも参列したそうです。

アン王女との結婚後、ティモシー・ローレンスは叙爵を辞退したものの、2011年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・コマンダーを受章しました。

長年にわたってアン王女の公務に同行することが多くなり、女王のプラチナジュビリーではバッキンガム宮殿のバルコニーに立つことを特別に許可されたようです。

また先日女王が亡くなった後も、ティモシー・ローレンスはアン王女の側にいて、女王の棺とともにスコットランドからロンドンまで同行したそうです。

心温かい人柄が伝わってきますね。

アン王女離婚理由は?

アン王女の離婚理由は、フィリップス大佐と愛人との間に子供ができ生んだことで夫婦関係が悪化し、離婚に発展したと言われています。

アン王女は最初の結婚で4人の男性とロマンティックな関係があったそうですが、元夫であるマーク・フィリップスもまた4人の女性と関係を持っていました。

『Chicago Tribute』紙によると、「フィリップスにはイギリスのTVのアンカーウーマン、カナダ人のPRエグゼクティブ、インド人のコールガール、パメラ・ボーズとまで半ば公然の浮気の噂があった」一方、アン王女は実際「俳優のアンソニー・アンドリュース、自分のボディガード、そして女王の侍従、ティモシー・ローレンス海軍中佐とロマンティックな関係があった」と報じられています。

最初の結婚で自身のボディガードと不倫していたことが一大スキャンダルとなっていますが、そこで離婚はしなかったものの数年後に結局破局しています。

ところがわずか6ヵ月後に別の男性と結婚しており、その変わり身の速さがまた国民から大きな批判を浴びています。

離婚理由になった愛人との子供ができた件に関しては、マーク・フィリップス大佐が父親であることを証明し、援助してもらうために愛人がマスコミに売り込んだそうです。

こうしてアン王女とマーク・フィリップス大佐は1989年9月に別居を発表、1924月23日に離婚が成立しました。

さすがは皇族の王女、そしてフィリップス大佐の愛人もやることが大胆ですが・・・

夫婦揃って4人と不倫と人数にも驚きですが、離婚に発展したきっかけもすごいですね。

アン王女の元夫と再婚相手

アン王女は1972年に、ミュンヘン・オリンピックで金メダルを獲ったマーク・フィリップスと結婚しました。

熱心な馬術家でイギリスチームのメンバーだったそうです。

アン王女とフィリップス大佐は、1968年に馬の愛好家のパーティで出会われたそうです。

1973年5月29日にアン王女が、女王の近衛連隊のひとつウェールズ騎兵隊のマーク(当時は中尉)との婚約を発表されました。

2人は同年11月14日に結婚、ウエストミンスター寺院で行われた結婚式はテレビ中継され世界で5億人の人々に視聴されたそうです。

フィリップスとプリンセス・ロイヤルには2人の子供、ザラ・ティンダルとピーター・フィリップスがいます。

アン王女は将来生まれる子供は普通に育てたいと希望したことから、ピーターは歴代君主の直系の孫として約500年ぶりに何の貴族称号を持たない人物となりました。

自身の生い立ちから、我が子には自分と同じ経験をしてほしくないという親心からきているのでしょうね。

またピーター同様、マーク・フィリップス大佐も平民出身でアン王女と結婚し王室の仲間入りしました。しかし、アン王女が子供は普通に育てたいという希望されたためマーク大佐も何の貴族称号を持たない人物となったのでした。

アン王女は最初の結婚が終わる前に、海軍将校のティモシー・ローレンスと不倫していました。ローレンスが1986年にエリザベス女王の側近に加わってから、アン王女と近しい関係になったといわれています。

二人の関係が発覚したのは、18ヶ月間にわたってローレンスがアン王女に宛てて書いた手紙が盗まれ、『The Sun』紙がそれを入手したことで公となりました。

1989年にバッキンガム宮殿は、女王の侍従の一人、ティモシー・ローレンス中佐と34歳がアン王女に親密な手紙を4通書いたことを認めたそうです。その直後に、アン王女はフィリップスとの別居を発表しています。

アン王女は、フィリップスとの離婚が成立してからわずか数ヶ月後の1992年12月12日にローレンスと結婚。当時、イギリス国教会は再婚を認めていなかったため、2人は、スコットランドにある王室の私邸バルモラル城近くにある小さな教会で挙式されました。

今年でアン王女と2度目の夫ローレンスは結婚31周年目を迎え、今もいい夫婦関係が続いているようです。

まとめ

アン王女について調べてみました。

エリザベス女王の娘で、チャールズ国王の妹であることをこの記事を通して知りました。

アン王女の半生や、最初の夫や再婚相手についても知ることが出来ました。

皇族の王女ですが、一人の女性として力強くまた恋多き女性として人生を歩まれていました。

今後の活躍にも目が離せませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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